めろんぱんになりたい

日々の暮らしのこと

欠陥商品

社会人になって2年目。

1年目は1ヶ月で仕事を辞め、その1ヶ月後転職した。

初めての会社は、私ともう一人同期が入社していたが、2日で辞めていった。私の方が先に辞めようと思っていたし、同期の方がその職種になりたくて入った会社だったのにもかかわらず、突然姿を消した。

私は気持ち的に、一年で辞めるつもりだった。1年お金を貯めて、やってみたいことをするつもりだった。

その仕事をし始めて、1週間経った頃。

雑音が多い職場で働いているからか、上司の指示が所々聞こえないことに気づいた。

最初は緊張や慣れで聞きとれないだけかと思ったが、なんていったのか聞こえない、聞きとれないのである。

「すみません、もう一度教えてください」

何度も聞くことが増えた。

更に、「前言われたこと」を所々忘れていることに気づいた。メモしたことは、その日の夜に復習するので覚えていたが、メモしていない雑談もどきの内容を所々覚えていないのである。

3週間目には、帰り道に耳元で口笛を耳元で吹かれているかのような音がずっと家に帰るまで聞こえてきた。

4週間目には、生活音が苦痛になった。ドライヤーの音も、掃除機の音も、トラックの走る音も、街中も、全ての音を耳が拒むようになった。

病院に行って検査したが、原因はわからないままだった。セカンドオピニオンし、大きな病院で検査してみることにした。

検査は4ヶ月及んだ。その間、新たな仕事を始めた。

新たな仕事をし始める中でも、どこかに違和感が出始めた。

4ヶ月に及ぶ検査や、仕事の困り感から分析し、高機能の発達障害の傾向があるということだった。

病名をつけるほどでもないが、傾向があるらしい。

私自身はアスペルガーよりだと思っている。

たしかに思い当たる節はあった。

人の感情が読みにくいことや、人と楽しいと思う観点が違うこと、本音と建前を察する力が弱いこと、言葉通り受け取ってしまうこと、過集中してしまうこと、短期記憶が弱いのと、聴覚からの情報処理が苦手であることなど。

聴覚からの情報処理が苦手なのは本当に困った。言われたことが虫食いのように所々忘れてしまう。

メモするが、メモしたものをどこに置いたか忘れてしまう。

私はどこにいるんだろうと時々思う時がある。

あの時の私は私なのか?

欠陥品の私は、これからどうすればいいのか。

毎日、毎日未来の自分のことを考える。

私のことを1番わならないのは私だ。

私のことを1番知らなきゃいけないのは私なのに。

今の仕事は本当に向いていない。

あと、8ヶ月。向いていないけれど頑張るしかない。

泣いても、苦しくても、あと8ヶ月頑張ろう。

最後の仕事の日は絶対ビールを飲みたい。

こんな話を見てくれてありがとう。

おやすみなさい。

小さなしたいことを現実に変える

 

先日高校の友達たちと夜ご飯を食べた。

 

「あのさ、全然関係ないんだけどさ...料理上手になりたいから3か月に1回ほど私の料理発表会に招待してもいいですか?」

 

ちょっと恥ずかしいけれど勇気を出して誘ってみた。

 

料理は好きだけど、そんなに上手ではない。

毎日お弁当をつくるのに包丁は握るけれど、そんな凝った料理はつくらない。

でも上手になりたいなという思いが最近むくむくとでてきた。

料理って人に食べてもらって完成するものだと私は思う。

そのためには発表の場が必要だ。

そのために仲の良い友達に自分の料理を食べてもらうという機会をつくってみようと思った。

おばあちゃんの家を借りて、秘密基地みたいな倉でご飯会(発表会)である。

 

こんな風にしたいことをちょっとずつ現実にかえていきたいな。

そのためには行動しなきゃなにも始まらないんだけどね。

ぜったいCDもつくるのでまっていてね。

 

では、おやすみなさい。

 

悲しくなったらドーナツを食べよう

あ〜いいようにいかない。

自分の能力のなさと、容量の悪さに泣きたくなる。

家に帰れば家族がいて、アホみたいな会話にちょっと救われる。

仕事っていつになったら叱られずにすむの?

毎日、叱られる恐怖に耐えるのが辛い。

ヘラヘラして能天気そうだけど心は傷ついていますよ。

私は人より言葉を理解するのが苦手で、時間がかかる。

そんなのどうしようもないじゃないの。

もういやいや、考えてもしかたない。

一つずつ、一つずつ終わらしていこう。

悲しくなったらドーナツを食べたらいいよ。

ドーナツは魔法の食べ物。

今の私は車に乗ってドーナツを買いにだって行けるんだから。

今日も楽しむぞ!

サイコーの友達

友達と遊んだ。

わたしの家で、ケーキを食べて、トランプして、本のおススメを互いにした。

すいけんすいじゃくをしたけれど、互いに記憶力がゆるすぎて、バカみたいに笑った。

岩盤浴に行って、汗をかいて、あついあついと言いながら水を飲んで、王将の天津チャーハンを食べてさようなら。

私の友達はこれだから最高だ。

今度は友達の家で映画を観る約束をした。

車の練習して、車で行けるように頑張ると言うと、「迎えに行くよ」と。

こんな日々がずっと続けばいいと思った。

こんな日々があってよかったと思った。

気分がいいので今夜はこれからお酒を飲みに街へ行く。

お金のはなし

 

2019年も8日経ってしまった。時間が経つのははやい。

先日某有名な起業家が100万円を100人に配るという企画を行っていた。

みんな100万円欲しさに企画に参加していた。私もその一人である。

「あ~欲しいな、100万円」

そう思うのは当たり前だ。楽してもらえるのにこしたことはない。

 

起業家に期待させられ、餌を与えられ、それに群がる群衆。

なんだか外からみるとちょっと、いや結構滑稽かもしれない。

企画し、選ぶ彼はさぞ気持ちがいいことだろう。

「俺がみんなに夢を与えてあげている」

そう思わざるを得ない状況を作り上げた。流石日本トップの人物である。

 

私は『タダ』という言葉が怖い。

『タダ』でもらうものほど怖いものはない。

なにかしらの対価を払って得たものに価値があるからだ。

宝くじだって、対価を払って買うわけである。アイス棒のあたりもアイスを買うことで得られる。

それをなんにもなしで『タダ』でもらうのは、何か見返りを求めているんじゃないか、あるいはお返しをしなくてはいけないのではないかという強迫概念にかられる気がする。(そうでない人もいるけれど)

更に私は、彼に『支援』という言葉がちらついた。これはあげているんではなく支援金なのだという背後に隠れたメッセージである。きっと何をするにも彼の名前がどこかしらの文書に表記されるのではないだろうか。少しでも関わった一人に簡単に成りえてしまうからだ。よく考えられているなぁと思う。

 

更に当たらなかった側に彼は「そのぐらいのことなら自分で稼いで手に入れろ、お金を渡す価値なし、自分の利益にもならない」といっているような気もする。

なんだか人間の心理をつき、操られている気がする。怖い男だ。

 

私は私の力でなんとかして、お金をためて、自分のしたいことをしようと落選したときに思った。

人からお金を『タダ』でもらえることを願うよりきっとそっちのほうが手っ取り早い。

それに自分の力で得た金という安心感、誰にも支配されない自由が手に入れられる。

 

さて、2019年はどんな年になるか私も楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝は楽しい

おはようございます。

今日朝4時半に起きて、したこと。

折り紙をおる

お弁当をつくる

お風呂に入る

ちょっと本を読む

朝は私の大好物。

静かなキッチンに立ち、料理をする。

お母さんと喋りながら朝ごはん。

弟のコーディネートとヘアセットを手伝う。

仕事を少し進める。

夜は自分がしたいことをしてすぐお布団に入る。

一般的な人間と生活リズムが合わないけれど、それはそれでいい気がする。

みんなが起きている時間に夢の中に入り、みんなが寝ている時間に穏やかな楽しい時間を過ごす。

これが私の大好物の生活だ。

今日は家の電波時計がいつのまにかくるっていて遅刻しそうになった。ひやひやしたなぁ。

今日も楽しもう。

ステキな1日を。

谷川俊太郎という人

私の大好きな詩人であり、尊敬するひとである。

その名も谷川俊太郎氏。

私もあんな言葉が送れる人になりたいと常々思っている。

言葉のプレゼント

それができる大人になりたいですね。