めろんぱんになりたい

日々の暮らしのこと

吸い込まれそうな晴天

 

久々に文を書きたくなった。書きたくなったらここに戻ってくる。このスタンスが今の私にはちょうどいい。

 

最近、暑い。おかげで、服選びにも困る。昨日なんか、ブラウスにチョッキを着ていたもんだから、脇汗の跡がくっきりついて脇を絞めながら授業を受けた。

 

私のいる大学の学科は、9割が先生になる。

採用試験を受けて、正社員として先生になる人。落ちてしまったけれど講師として先生になる人。雇用は違えど、児童からみれば「先生」に変わりない。

私の親しい友人は正社員として春から先生になる。彼女は「先生」という職業がとびっきりお似合いな人だ。私もそんな彼女が正式な先生になってうれしい。

昨日は、児童相談の方法を学ぶ授業だった。どうやって子供や親やスクールカウンセラーと関わっていくのかを学ぶ内容である。

臨床心理士の先生が前でマイクをもって説明しているが、周囲の同期たちは寝ていたり、スマホをいじっていたりと違う何かをしている。こんな人たちが先生になるのか...と余計なことを思っている自分がいて嫌になる。

私の周りの「先生になりたい」という人々は、綺麗なことしか言わないのも少し反論したくなる。社会的にこれが正しいという意見しか言わない。先生に褒められるような回答しか言わない。minorityは打ち消したい。そんな感じに見えてしまう自分が嫌になる。

 

 

今日はバイトの面接に行ってきた。志望理由が「近いから」と言ったら、私たちの会社に興味を持ったからとかではなくて?といわれ「すみません」としか言えなかった。落ちたような気がする。受かったらいいなでいったので別に大丈夫だ。とりあえず、カフェのバイトを辞めたい。遠いし、観光地なこともあり客が途切れず、一息つく暇もない。古民家なので大きな高さの段差を上り下りしながら料理を運ぶため腰が痛い。バイトの仲間も好きじゃない。私が長期休みをしている間に好きな人たちがみんな辞めていた。苦手な人ばかりが残っていた。店の経営理念のようなものも変わっているように感じる。テキパキできるバイトの同僚は凄いと思うけれど、尊敬できない。

な~んて愚痴を言ってしまった。

 

こないだ、ハローワークの人と面接をしているときに「苦手な人はいますか?」と聞かれ、「いつも悪口ばかり言っている人が苦手です」というと、「同僚にそのような人がいた場合どうしますか?」と言われ、「苦手ですが嫌いではないので大丈夫だと思います。」と言ったら「ん~そういう回答じゃなくて、もっと具体的に」といわれた。でも本当のところ「苦手」と「嫌い」は違うと思うのだ。苦手だけど、嫌ってはいない。適度に関わるし、適度な距離感を保てる。好きな人にしか興味がないからだと思う。面接練習で、「ここでぜひ働きたいという思いを伝えなきゃ」と言われたが、そこまでして執着もない。ダメだったら次に行けばいいという私の考えも甘いのだろうけど。

 

私は何のために生かされているのかずっと考えている。その答えはいつわかるのだろうか。考えたって仕方ないけれど、ずっとこの課題は考えていきたい。

谷川俊太郎の詩を読んで日々を過ごそう。

いつもありがとう