めろんぱんになりたい

日々の暮らしのこと

抱きしめる

あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ、そのすべてを愛してたあなたとともに

悪いことは重なるな、苦しい日々は続くのだ

いつだって苦しいよ だけど今日は楽しい

米津玄師のLemon、星野源のくだらないの中に、カネコアヤノのとがるの歌詞

楽しいだけが生きることではないことを気づかせてくれる。

楽しいと思い込まないと辛いときもあるし、楽しいと思えない日もある。楽しすぎてこのまま時間が止まればいいのにと思う一瞬だってあるよね。

でも、生活は続いていく。死に向かって時間は止まることなく、身体の劣化も止まることはない。

この先楽しいと思えるときがあと何度あるかなんてわからないし、誰も私の未来なんて予想できない。(なので占いはあまり信じていない)

最近就活がスタートしたであろうスーツ姿の大学生や専門学生をみると、あの苦しかった日々が脳裏によぎる。

自分がわからなくてベッドの上でポタポタと涙が溢れた日々や、周りがどんどんこんな会社に入りたいというのが決まって焦った日々。もうあの時には戻りたくない。

とりあえず、4月から私も腰輿と春を迎えることができそうだ。1年半長かった。

私を一旦見晴らしのいい草原の真ん中に置いて、私の向かう方向が正しいのかきちんと私に尋ねて前に進むこと。

みんなが〜〜だからこうという考えは捨てて、自分はどうしたいのかきちんと考えること。

それが私の就活した経験から得られたものだ。私のことは私が1番知っているし、私が1番に愛してあげたいと思えるようにもなった。今になってこの日々は苦しかったけれど、大切で、愛してあげたい、抱きしめてあげたい日々のような気がする。

これから私は会いたい人に会いにいき、会いたい人に会って、私は私に水を与えていく。

昨日は京都へ会いたい人に会いにいった。

まるで、会ったときから、よ!元気だった?久しぶり!のような感覚でとても不思議だった。

私が会いたいと思える人は、きっと何かが似ているのだと思う。このときばかりは信じていない神に巡り合わせてくれてありがとうと言いたくなった。

苦しい日々も愛そう、そう思える日まで