めろんぱんになりたい

日々の暮らしのこと

お坊さん

こんばんは。GW楽しめてますか?

今日はおじいちゃんの法事でした。おじいちゃんがなくなったのも私が小学校3年生ぐらいなので結構時が立ちます。

おじいちゃんが死んでしまった時人ってこんなにもあっけなく死んでしまうんだと思ったような記憶があります。「死」に対してあまり執着がないのかなんなのかわかりません。飼っていた犬が死んでしまったときも死に対して悲しいよりも消えちゃったなという感覚しか無いのです。

誰かが死んでしまって泣いたことがまだありません。もし死んじゃったらを考えるときのほうが怖いです。

 

「泣く」といえば、生活の中でも卒業式や学年が変わるときも泣いたことが一度もありません。

小学校3年生の最後の日に担任の先生がクラスのみんなの前で「涙そうそう」をピアノの弾き語りで歌ってくれたんです。クラスほとんどの子が泣いていたのに私だけ泣いていませんでした。なんでみんなそんなに泣くのかさえも分からなかった。

振り返ると部活の引退だって何かのお祝いの日だって実習の最終日だって周りはいつも涙であふれているのに私だけ早く家に帰りたいなぁと思っていました。

本気で何かを思ったり、本気で何かを成し遂げたりということをあまりしていないのかもしれません。いつも安全に安全に平穏を保ちながら生きることを目指しているのかも。あまり人が好きではないのも安全に平穏を保つためかもしれません。

優しいねって言われるけれど本当は優しくすることによって自分のプライベートの安全を確保しているような気もしないような。自分のために優しい人になりきっているような。考え出したらきりがないけれど本当の自分は汚くて意地汚い人間かもしれないな。

 

今日あった法事のお坊さんのお経が完全に歌のようなラップだったのですごく楽しかったです。こんな法事もありだな。お葬式ももっと楽しいものにすればいいのに。私が死んでしまったときどんなお葬式にしてもらおうと思いながらお経を聞いていましたが、何も浮かびませんでした。いつ死ぬかわからないしはやく計画を練ろうと思います。

 

ここまで読んでくれてありがとう。明日も素敵な日に