私にとってのキッチン
私はキッチンが好きだ。特に真夜中のみんなが寝静まった頃のあの場所が好きだ。
独り言を少し口ずさみながら冷蔵庫を開け閉めしたり、泡だて器でボウルの中のものをかき混ぜたり音楽を流しながら一緒に歌ってみたりとても幸せだと感じる瞬間がそこにある。
おいしいごはんやお菓子を食べるとき、人は幸せになったり、ぽろっと本音が出たりする。家族や友達、人と他愛もない話をしながらご飯を囲んで過ごすあの場所が一番好きなことに改めて気付いた。笑顔あふれる場所である。
私は3月から就活を本格的に始めた。しかし、「将来働く」を考え始めたのは大学1年生からだ。働く意味、何を自分はこれからしたいのかずっと考えていた。しかし未だに答えは見つかっていない。しかし、私の生活の中心となっているものは「音楽」「食」「自分が楽しいと思うことをする」ということはわかったような気がする。気がするだけで本当は違うのかもしれない。みんなが笑顔になれて私も楽しく生きれたらそれだけで幸せなのだと思う。
もし明日自分が死ぬことがわかったら私は何をするだろう。きっと私は私の好きな人たちとキッチンでおいしいごはんを食べたり、歌をうったったりするんじゃないだろうか。きっとすごく特別なことが幸せじゃなくて平凡な小さな幸せがきっと本当の幸せなのではないかと思う。
リクルートスーツを着て、髪を一つに縛って、好きでもないパンプスを履いて会社の1つの歯車になることに一生懸命になることが幸せなんだろうか。早く内定を決めて遊ぶことが幸せなのだろうか。自分の本当の幸せってなんだろう。最近すごく考えてしまう。したいことがわからないってよく思うけれど本当は自分自身とっくに気付いていてそれをする勇気がないだけなのかもしれない。自分にとって何が大切なのか夢中になれることなのかを探し続けようと思う。
先日母に救われた言葉がある。「あなたなら大丈夫よ、もしだめで失敗しちゃってもここに帰ってくればいいんだから。帰る場所はここにあるんだから。あなたを見捨てたりしないんだから大丈夫。いざとなったらお父さんが養ってくれるわ!ね?お父さん」
少し涙がでた。私は本当に家族に恵まれている。少しみんな変わってる所はあるけれど私はこの家が家族が大好きだ。胸を張って「これがわたしだよ」と言えるようにこれから歩んでいきたいな。
私はわたし
久しぶりに日々のことを書いてみようと思う。
もうあっというまに今年も終わりそうだ。実習という大きなイベントも無事終了し、今周りの人々は就活にまっしぐらである。私の行っている学部は教師という職につく人が圧倒的に多いため教員採用試験の勉強を頑張っているのをよく見かける。私はというといろいろ考えた結果学校の先生になるという選択を辞めた。「逃げ」とみんなには思われているかもしれないけど、長い人生を考えたとき私は自分が教師として働いている姿を想像することが出来なかった。教師は素敵な職であり、子どもたちに生きる力を与えることが出来るやりがいのある仕事であることは知っているつもりだ。
私は2年前から「働く」ということについてよく考えてきた。働くってなんだろう?なんのために?何をしたらいいの?何がしたいの?いろいろな疑問を自分に尋ねてみても誰かに聞いてみても解決しなかった。でも最近少しわかってきたことがある。それは、「私がわたしらしく生きられて、私という存在を認めてくれる」そんな働き方をしたいと思うようになった。何なら島でも森でも国外でもどこでもいい。私が私らしく自然に自分を成長させることのできる場所に行きたい。でも私はすごく何かに秀でているものをもっているわけではない。好きな物はたくさんあるけれど得意なことは少ない。大丈夫かな?生きていける?私みたいな人いるかな?よくインターネットを使って私と似た境遇の人の記事を見つけて安心を探そうとする悪い癖がある(笑)でもそんなとき思う、「私はわたし、他人は他人」
今後どう転ぶかわからない私の人生は不安だらけだけれど、いつもなんとかなるさ、わたしらしくがんばれ、がんばれと思いながら笑って生きていたい。来年の今頃何をしているのだろうか?こんなにも今の私は悩んでるよ。
21歳
誕生日を迎え21歳になってしまった。小さいころ描いていた21歳はもっともっと大人だったように感じる。夏休みもあと少し、10月は実習だ。正直楽しみでもあるが面倒くさいのほうが勝っている(笑)
ここで21歳の目標を掲げたいと思う。ずばり英語を日常生活で困らない程度に習得したい。そのために外国人の友達を一人でも作ろうと思う。先月カンボジアに行ってきた。その日は自由行動で観光客が行くおしゃれなお店に晩御飯を食べに行った。その時隣に英語圏の外国人が座っていてカレーのようなものを食べていた。思い切って私は、「かりーあんどらいす?」と尋ねたら「?」みたいな顔をされてえ!?!?!私の英語通じない!?!?という驚き+悲しみの衝撃を受けたのを覚えている。なんとかライスはつたわったものの「それライス?」と尋ねているだけなのであっちからしたら「あたりまえだろ・・・こいつあほなのか?」ぐらいに思われていたと思う。そんなこんなで私は海外にでも通じる英語力をつけたい。昨日小学校4年生の文集をおしいれから取り出してみてみると将来の夢という欄に”世界一周””ケーキ屋さん”パン屋さん””音楽の先生”と書かれていた。今好きなものとあまり小さいころからかわっていないだなぁと少しおかしかった(笑)世界一周という目標は難しいかもしれけれどいろいろな国へ旅に行くことは私の目標として達成できそうだ。そのためにはやはり英語をしゃべれるようになりたい。今自分が知っているのはほんの少しで世界にはおもしろいことがたくさんあるに知らないのはなんか悔しい!!とりあえず外国の人と関われるバイトでも探そうかな。
ちなみに20歳のときの目標は彼氏を作ることだった。達成できたどうかはご想像に・・・まぁ言わなくてもわかるか・・・。彼氏いそうなのにね?って言ってくる女友達を私は絶対信用しないぞ!!!!!
残り僅かな夏休みを思いっきり楽しみたいと思う。
最高な人 9月
九月がやってきた。私の好きな月だ。気候も食べ物も服もすべてが自分好みである。そんなこんなで九月初日は大学へ電車にゆられ集中講義を受けにいった。9時から18時までという面倒な模様しである。しかし、この講義で素敵な出会いがあった。
授業は他の大学から教授がやってきて講義をするというものだった。その教授がとても変わった人だっだ。(良い意味で)
その教授は大学院で哲学と教育を結び付けて教えているらしい。教授は17年間大学に勤めながらも1回も飲み会に参加したことがないそうだ。人ががやがやしたところが苦手らしい。なので葬式、結婚式も最近は行ってない。断り続けたことで今ではもう誘いもこないらしい。また、教授は名刺も捨てた。前までは名刺をくれた人に「今ちょっと切らしてて・・・」と嘘をついていたがいまでは「名刺はつくってない」ときっぱり言うらしい。言われたほうも「そ、そうですか」としか言いようがないだろう。あとは、スーツとネクタイも捨てたといっていた。自分をしっかり持っている教授が私の中でみるみる数十分のうちにかっこいい存在になった。みんなと一緒に何かをするのが面倒に思えてしまう私にとって親近感しかない人物だ。変な人ほど尊敬したくなる癖が私にはある。なので私の周りには変な人しかいない。しかしそのような環境を私はたいそう気に入っている。友達は少ないが今の現状が好きだ。
教授の話に戻ろう。教授はまずみんなに「あなたが今なりたいとおもっている将来の夢は本当になりたいものだろうか」と尋ねてきた。哲学感がにじみ出ている質問だった。
家族の期待や世間の評価などを気にして無意識に思い込まされているだけではないかと教授は言う。小さい頃に思い描いていた夢と今の夢が違う人は多くいるだろう。ケーキ屋さん。ピアニスト。野球選手。なぜその夢を変えたのか、それは大人たちが子どもに現実を突きつけるからである。あるいは、「あなたは~が向いているよ」と言われるだけで信じたり確信づけたりすることで本来純粋に思い募っているしたいことがうもれ、他者に思い込まされているのではないかということだった。
教授は今の仕事が楽しくて面白くてしかたないらしい。私もそんな職につきたい。そんな職を見つけたい。最近私は将来についてよく考える。その中でこの話は今自分にとっても素敵に思えた。
もう1つこの教授を好きになった理由が本である。教授は、専門より教養を身につけろと言った。教養は人と会ったり、本を読んで身につくといっていた。教養を身につけることで見晴らしのよい所に立つことができるらしい。その中の本に吉本ばななさんの名前があがった。その瞬間この人のことをもっと知りたいとおもった。好きな作家を知っている教授なんて最高すぎる。やはり本はいろいろなことを教えてくれる。だから本を買うのをやめられない。一人だけの世界をつくれるあの時間が好きだ。
あと2日間しかこの教授には会えないが明日が楽しみである。