めろんぱんになりたい

日々の暮らしのこと

真っ白になりたい

今日は雨。今日の方が台風らしい天候だ。

バスもダイヤが乱れ、運転手のおじさんも道路の込み具合に貧乏ゆすりをしている。

落ち着いて、落ち着いて。そう、念を送りたくなる。

でも、この後の仕事がおしているんだろうな。

私はお腹の痛みを少し感じながらも学校へ向かう。

今日はどんな1日になるのだろう。

Twitterを真っ白にしてみた。

最近色々なことを真っ白にしたい衝動に駆られる。

私の歌も性格も人生もなにもかも真っ白にしたい。

真っ白にしたから満たされる訳ではないのに、なぜだろう。

白はすぐ汚れてしまう。

白は何色にもなれる。

真っ白は良さも欠点もある。

もし人生を真っ白にできたら何をするだろう。

ふとそんなことを考えてしまう。

今日から1週間私の人生が動き出す気がする。

一歩一歩進もう。

ここまで読んでくれてありがとう 素敵な1日を

台風はやってこない、ならビールを飲もう

昨日の夜、”台風こないかな?”と思いながらリビングにて眠りについた。

朝起きて誰かの声がすることに気付くと、一目散に尋ねる。「台風どう!?!?」

牛乳を飲んでいる父が答える「ゆっくりじゃな。学校へは行ける、残念」

私は学校あるのか…と思いながら心の隅でやっぱりなとつぶやきながら支度を始める。

外の景色を見れば、土砂降りの雨ではなく曇り空が広がっていた。

 

私の県は全くとっていいほど台風が来ない。

小学生時代、高校生時代何度台風に期待し、なんど裏切られたことやら…

きっと台風はこないと思いながらも淡い期待を寄せてしまうのが悔しい。

大学生になれば台風で授業がつぶれた場合、補講というものが現れる。これが本当に面倒なのであまり台風に来てほしくない場合もある。

今日は、休みという期待を抱いた分、家を出るとき足取りが重かったような気がする。

 

期待を抱いて裏切られたこんな日こそ、ビールを飲みたくなる。

酎ハイでもいいなぁ。ようは酒だ。酒。

お酒を飲むぞと思うと、こんなもやもやした天気の日だって乗り越えられるきがする。

早く家に帰りたくてたまらない。

夏だからトマトを添えたい。

酒とトマトと本。これさえそろえばどんな日だって楽しくなれる気がする。

 

ここまで読んでくれてありがとう。みなさんもお酒飲んでみてはいかかがだろうか?素敵な一日を!

 

 

私の部屋

 

私の部屋には窓が3つある。

なんでこんな狭い部屋に3つあるのか謎だ。

6月ぐらいに部屋の掃除をしたときずいぶんカーテンを洗っていないことに気づいた。3つも窓があるのでカーテンも3セットある。あ~~面倒だと思ったもののその時の私は掃除に燃えていた。カーテンをすべて剥ぎ取り、洗濯機に放り込み、日がさんさんと照っている庭に干した。

 

ここまではよかった。そう、ここまでは。

カーテンをとったということは、カーテンをまたつけなければならない。掃除意欲が増していたあの頃の私は消え去ってしまった。

「カーテンをつけるのが面倒くさい」この考えが継続的に続き今にいたる。

 

私は、朝目覚ましをかけることなくある一定の時間におきることができる。

なぜなら、太陽の光が窓から入り、私を熱しにかかっているからだ。

あつっと思いながら最近起きてしまう。額には汗をかき、体が日陰を欲しがっている。

 

毎朝このときだけ思うのだ。カーテンそろそろつけなきゃな…

いつまで自分の部屋が丸裸の日が続くのだろう。

私は家によくいるのにこのせいできっと日焼けしている。日に日に黒くなっているような気がする…

 

少し事が片付いたらカーテンを買いに行こう。

植物柄のカーテンなんかかわいいと思う。

7月は勝負の月だ。就活も、論文も、私の部屋に入ってくる太陽の光も。全部に勝つぞ。

 

ここまで読んでくれてありがとう 素敵な一日を

 

 

私とピアノ

7月になってしまった。2018年までそう遠くないような気がしてくる。

今日も私は部屋で引き籠っている。2日前の私と生活スタイルは変わらない。

しかし、月が変わるごとに違う私ができるようで月初めはなんだか楽しい。

 

最近、よくピアノによく触れる。

私は幼稚園の頃から中学3年生までピアノを習っていた。徒歩1分で着く近所の美しいおばさんがしているピアノ教室だ。

私はピアノが好きではなかったし、練習もあまりせず嫌々通っていた。クラッシックなんてつまらないし、シャープやフラットが楽譜に出てくると溜息ばかりでる。黒い黒鍵なんかなくなってしまえばいいのにと思っていた。

嫌々通っているのもあって、自分の弾いているピアノの音色で眠気を誘い、弾きながら途中意識が途絶え先生に「起きて!?」と怒られる?心配される?こともよくあった。

 

しかし現在、私はピアノが好きだ。辞めて気づいた。

好きな曲はたいていバックでピアノが鳴っているし、イライラしたりストレスがたまるとピアノを弾きたくなる。あんなに嫌いだったピアノが私の癒しになっている。

曲を作る時だって、ギターでメロディーを考えるよりもピアノでメロディーを考えたほうがはかどる。

きっとこれからも私はピアノと共に生きていくのだと思う。

 

私はピアノの音もすきだけれど、姿も好きだ。漆黒の黒の中に、純白な白鍵と白鍵を引き立てる黒鍵が据わっている。

そのピアノを弾く人の服装は黒色の服が一番似合うと思う。

鍵盤に触れる手は、細長く、しなやかな手だ。爪はきっと整えられているのだろう。

 

ピアノが弾ける男の人に私は惹かれてしまう。

指が、手が美しい人に私は惹かれてしまう。

きっとそれはピアノが好きなことも関係しているのではないかな。

ドラマをみても手が気になってしまうし、電車に乗ってもスマートフォンを持っている人の手を見てしまう。

 

私はピアノを習っていたからこそ、今音楽をしているのかもしれない。

ピアノを習っていなかったらギターに触れてもいないかもしれない。

 

私とピアノはずっと深く深くこれからも繋がっていくのかもしれないな

 

ここまで読んでくれてありがとう 素敵な一日を

 

 

 

 

 

丁寧な暮らしは疲れそう

 

「丁寧な暮らし」という言葉をよく聞く。

私の好きな、松浦弥太郎さんだって丁寧な暮らしをいつも心掛けているようだ。

丁寧な暮らしときくだけでおしゃれな人をイメージする。ドライフラワーが似合っていて、服は白を基調としていて、SNSに載せる写真がおしゃれ。勝手なイメージだけれど、強ち間違ってないんじゃないんだろうか。

 

私も丁寧な暮らしをちょっとばかし意識した期間があった。

けれど、私は気付いたのだ。丁寧な暮らしは私にはできないことを。

 

雑な暮らしのなかに、ちょっと丁寧な部分を加えるぐらいが私にはちょうどいい。

常に丁寧な暮らしを心掛けていたら疲れてしまう。丁寧な暮らしをしなきゃ…という義務感に駆られてしまう。これじゃあ、誰のために丁寧な暮らしをしているのかわからなくなってしまいそうになるだ。

 

丁寧な暮らしをする中で生活が窮屈になってしまったら、それこそ自身の生活に悪影響を及ぼしかねない。

雑な暮らしのほうが、私は人間味があって好きだ。丁寧な暮らしが嫌いなわけではない。丁寧に暮らすことはそれなりの善さがある。

 

ようは、雑な暮らしでも丁寧な暮らしでも自分に心の余裕があれば、自分の思うより良い生活ができると思う。心に余裕があれば、いろいろなことに気付けるし、気遣いだってできちゃう。

切羽詰まった中じゃできない掃除も余裕があればできる。それは、雑でも丁寧でもそうなんじゃないかな。

 

今日のひとりごとはおしまい。

ここまで読んでくれてありがとう。 素敵な一日を

 

 

デートにいきたい雨の日

みなさん、デートしてる?

おしゃれして、爪をぬって、髪型をきめて、待ち合わせ場所まで鼻歌を歌いながら歩いていく。あ~、デートがしたい。

そもそもデートの定義はなんなのだろう。遊ぶ約束ではなく、デート。恋人ではない人もデートへ行くというし、下手すれば、お母さんとデートって言っている人も見たことある。大きなくくりの好きな人といけばすべてがデートになるのだろうか?

最近は曇りや雨が続いている。

でも、雨の日なんてデートに最適だと思う。雨だね、なんて言いながら雨宿りに喫茶店でケーキとメロンソーダを頼みたい。雨だから家でDVD見たいし、雨だから、博物館や美術館へいってもいい。

 

梅雨はデートしたくなる。21歳になってそう思う。

お母さんに、「デートしたいなぁ、相手いないけど。どうしたらいい?」と相談すると、「困ったねぇ~~」 呆れられる。

「なんかパーティーみたいな、イベント行ったら?」と提案された。

「でもさ~行ったら行ったで疲れるし、面倒くさくなりそう。当日、やっぱりやめたってなりそう」と打ち明けると、

「そうなりそうね~」 さすが私の母、私のことをよく知っている。

 

「でもデートって何するの。今デートするならどこ行きたいの」 お母さんから質問。

「ん~映画とか?でも映画は一人の方が楽しいよね。あっ喫茶店!喫茶店いきたいな。でも友達といけばいいか。ん~行きたいところないなぁ。」

「..........」また、呆れられた。

 

デートがしたいのではなく、デートに行くまでのおめかしするあの時間を今欲しているのかもしれない。

友達でもいいけれど、好きな人のためにどんな服を着ようとか、どんな髪形にしようとか、何食べようとか、あのどきどきわくわく感を求めている。

 

ここまで読んでくれてありがとう おやすみなさい

 

 

気ままでいいよ

 

「good morning!」と朝、リビングに飛び込むと、「俺はgoodじゃない」と弟氏から怒られる今日。じゃぁ、なんなの。bad morningなんて聞いたことないよ。

 

そんな弟から昨日、「姉ちゃんはいいよな、いつも気ままに生きて。苦労とかしてないだろ」となぜかけなされた。いや、まて弟よ。私はこれでも頑張っているのだ。気ままに見えるだけで、ちょっとは?ほんのちょっとは苦労もしているのだよ!!!

 

「あんたは苦労してんの?」と尋ねると、「今は受験」

そうですか。そりゃそりゃ苦労されているんでしょうけど私だって受験苦労したよ?あれ?苦労したっけ?あれ?

再び弟氏「いっつも寝て、ごはん食べて、ぐーたらして、ぐーたらして、こっちの受験のやる気ポテンシャルが下がりますわ、ほんと」

 

なに!?!?!?!?!?私はあんたのポテンシャルをあげるために生きてるんじゃないわよ!!!と言いたくなる。

 

「じゃぁ、私は何したらいいの。何したらポテンシャルあげれるの」と尋ねると「俺のポテンシャルをあげるために、勉強して」と何故かお願いされた。なんだそりゃ。

 

でも勉強しなきゃいけないのは事実なのでしようと思う。実習も無事終えれたし、そろそろ本気で勉強しなきゃ。

でも思うのだよ。気ままに生きたっていいじゃないかと。気ままの方が楽だし、なんといっても気ままな日々が好きだ。好きなことをして、好きなように生きる。そんなのダメだよ。っていう人もいるかもしれないけど気ままに生きれるのも能力の1つだと思うのだ。気ままだからこそ気付くことがあるし、違う大変さもある。みんな違ってみんないいって金子みすゞも言っている。気ままに生きる私を愛してあげよう。

 

今日は雨。髪はきまらないし、服は濡れるし、足元はびちょびちょだけど今日も雨の音と共に素敵な一日を送ろう。

 

ここまで読んでくれてありがとう。素敵な一日に!