めろんぱんになりたい

日々の暮らしのこと

スーパースターになれない私

こんばんは。少し、いや、結構日々の記録を怠っていました。

最近は書かないんですか?と心優しい方が聞いてくれて、久々に書きたくなりました。ありがとう。

 

最近は本を読んだり、ゴロゴロしたり、ゴロゴロしたりしています。一生にこんなゴロゴロする機会なんてもうなんじゃないか!?と思うぐらいゴロゴロしています。実家暮らしなのですけど、お母さんに「そんな時間も必要よ~」とゆるく応援されたので、短期ゴロゴロのプロになろうかな。

しかし、さすがに生産性のある人間になろうと家事はこなしていますよ。ここ最近の上達テクニックは、アイロンです。まだまだ修行がいるな。

 

ある深夜に、文字が書きたくなって新聞の記事を募集するコーナにパソコンから応募しました。 すると後日掲載するとのメールがきました。適当な文字と適当な私の思いを添えたコラムのようなあの記事が新聞に載るって不思議な気持ちです。本当にしょうもないことしか書いていないので、もっとかっこいいこと書けばよかったなぁと後悔。

両親に、載るらしいと報告してしまったのも失敗です。毎朝、恒例行事のように私の記事がないかチェックしてくれています。私は起きるのが遅いので、事後報告で「今日もなかったよ」と伝えてくれるのだけれど、もういいよ!!!!!やめて!!!の気持ちでいっぱいです。いまだに載るのを待ってくれてるので、「もう載せるの辞めたんかもね」とぼそっと呟くと「いや、載るよ!明日かもしれない!」と私より楽しみにしています。何度も言うけれど、本当にしょうもないことを書いたのでごめんなさいという気持ち・・・。そんなことでも楽しみにしてくれる両親でよかったです(笑)

 

私は才能も取り柄もないので、目立つことなく生きてきました。運動も得意ではないし、勉強も平均、集団行動も好きではないし欠陥だらけの人間です。

しかし、両親はそんな私のしたいこと、やりたいことに対して全力で応援してくれたように思います。

思い出に残っているのは小学校3年生のとき。体育の跳び箱で、私と一人の男の子だけ跳び箱の3段が飛べなくて、体育館の隅で練習させられました。みんなは3段以上の跳び箱を楽しそうに飛んでいるのに、なんで私だけ飛べないんだろうと悲しみにくれていたことを覚えています。平均にも届かない、隅に追いやられた私。そのことを家で両親に話しました。すると、両親から「児童館で練習しよう」と提案してくれたんです。飛べるようになりたいという私の思いに一生懸命に答えてくれたことがうれしかったのを今でも覚えています。1日の集中特訓を行い、次の授業から3段を飛ぶことができました。こんな風に他人からすればあたりまえなことがぱっとできない私を1つ1つ応援してくれたり支えてくれているんだなぁと思うと両親に感謝しきれません。

 

私は、すごい何かが秀でてるわけではないし、誰かに羨ましがられる人物ではないけれど、私が大切にしたいことや人は何かわかっているしそれでいいんだと思うな。

 

スーパースターになれなくって、大切な人ぐらい救える人間になりたい。救われてばっかだ。

 

なにが言いたいかわかんなくなっちゃったのでこのへんで。

 

いい夢を、おやすみなさい ここまで読んでくれてありがとう。